2024.12.04
毎日のように子供を叱っています。
自宅のリビングのテーブルの上で、毎日土いじりをするからです。
当然ながら?、机の上ではおもちゃと観葉植物の土がごっちゃに混ざり合い、
時には口に入れるもの用の置きっぱなしのコップにも土が入っています。
家ではくつろぎたいのに、片付けても毎日のように土だらけ…
何度言ってもやめてくれません。
言葉が理解できない年齢でもないのになぜだろう?と不思議なのですが、
子供に聞くと「やりたかったから…」「外は暗いから」と言うのです。
そして新聞を下に引くわけでもなく、散らかさないように気を付けるでもなく、
毎回終わった後は土だらけ。
どんなに嫌だと伝えても、やめて欲しいとお願いしても変わりません。
その光景を見るたび怒っていますが、
時間が経ち冷静になると、それが「嫌だ」と思う時点で相手に非はなく、
私が超えるべき課題がそこにあることに気付きます。
愛の瞑想を続けて真に理解したことの1つは、
嫌な経験の原因は、自分以外の何事にも何者にもないということ。
自分の中にある、その経験の原因に気付いて対処すれば、
その出来事は二度と起こらないのです。
この場合、私の魂の成長機会を提供するために、
子供は演者の1人として私が嫌だと感じることを私の日常劇場の中で繰り返しているだけで、
子供に原因はないのです。
「何事も自分のために起こっている」という、
上っ面なスピリチュアルにありがちなポジティブ解釈をしているわけではありません。
愛を見出す瞑想を続けたら皆、この宇宙のからくりであり真実に気付きます。
私が瞑想しさえすればスパッとやらなくなる可能性が高い…
…ということで、瞑想してみます。
随分長く瞑想していますが、まだまだ感情的になって、
その原因を相手に投影してしまう瞬間があります。
それに気付くようになり、
気付くまでの時間が以前と比較して圧倒的に短くなったので、
確実に成長し変化はしているのですが、
まだまだ瞑想すべき対象が残っています。